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2025/04/30

無理や我慢を手放して、新しい生き方を覚えよう!

「自分が自分を許し、再生の旅を選択する」タラニがそっと導きます

我慢と頑張りを手放せば、本当の自分らしい自由な人生が始まる


・無理して「頑張」っている。

・「我慢」が習慣になっている。

・人から「頑固」だと言われる。


「我慢」「頑張」「頑固」この3つの「が」があなたの命を奪っているとしたらどうですか?あなたは心当たりありますか?

この生き方が自分らしいし人生と思うことが悪いといっているのではありません。

もし、この生き方を変えたいと思っているのならば、この記事はあなたのお役に立つかも知れません。

3つの「が」は「エゴ」であり、いき過ぎた「自我」であり、「防衛」であり、あなたがまとっている「鎧」です。

ラベルが何であれ、少しずつ軽くして、本来のあなたの才能、しなやかさ、美しさを取り戻していきませんか?


◆3つの「が」が身についた根本原因

子ども時代、適切な愛情や安心を受けられず、大人の理不尽な扱いの中で生きてきた方は少なくありません。

そんな中であなたは精一杯の努力して生き抜いてきました。

・無理な我慢を続けてしまう

・周囲の顔色を伺って「頑張る」いい子を演じていた。

・真面目さゆえに、やり方を変えることができずに「頑固」だと言われてしまう

そうして小さな身体と脳は、自分の本音をしまい込み、「感じないこと」で生きることを諦めずに、生き延びる道(防衛機制)を選んできたのです。


◆抑え込まれた本音は こうして出られなくなった

3つの「が」を続けた子どもが大人になって抱える傾向には次のようなものがあります。

・自分の感情や欲求を表現できないで、黙り込むクセ

・気持ちを言葉にできずに、やがて何を感じているかすら分らなくなる

・自分の本音にフタをして、記憶や感情が曖昧になってしまう

その本音は、偽の感情や防衛的な思考や行動でまるでタマネギの皮のように何重にも包まれ、深く隠れていきます。


◆3つの「が」が招く 脳と身体の代償

・意見や気持ちを自己主張をしない

・他人に自分の気持ちやニーズを察して欲しがる

・周囲に過剰に迎合し尽くし過ぎる

・常に何かしていないと不安になる

その結果、常に緊張し、静寂や、ゆっくりすることができず、慢性的な疲労感や焦燥感を抱え込んでしまうのです。


◎ここから、本当の自分を主体にして生きる

大人のあなたは3つの「が」を減らして、「悦びで生きる人生」へと移行することができます。

1,「ねばならないではなく」、心の底から湧き上がる悦びを感じて生きる

朝、目覚めたときに「今日は自分をどんな風に悦ばせよう?」と問いかけてみて下さい。

それだけで、人生の主導権があなたに戻ってきます。

2,自然体で人とつながる温かい関係を持続する

他人軸ではなく、自分自身を主体にしてから、他人に心を開き

豊かな関係性を育みます。自分の気持ちが基準になります。

3,疲れ知らずのパワーあふれる身体

無理に頑張らなくても、自分の中から湧く気持ちや感覚に従うことで、自然と力が湧き、身体は軽やかに、呼吸は深くなり、表情は柔らかくなるでしょう。

4,宇宙の流れ、神、細胞に導かれる生き方になる

直感に忠実に生きると、引き寄せやシンクロやご縁が自然と巡ってくるようになります。自分の感覚に正直になり、自然なリズムと調和するように導かれるでしょう。

5,ただ存在しているだけ、生きているだけで価値がある

何かを成し遂げるから価値があるのではなく、あなたは「ただ、ココに存在しているだけで尊い」という安心感が細胞の隅々にまで染み渡るようになります。


◎3つの「が」を手放す時、本来の自分とつながる

確かに、最初は3つの「が」を手放すことは不安かも知れません。

でも、その後に、あなたはより高い波長になることができます。

例えば、悦び、平和、愛、落着き、美しさ、創造力、など

至福へと導かれていくでしょう。


◎そうなれば、あなたのハイヤーセルフが今ココから導いてくれます。

「これからは、我慢や頑張り過ぎではなく、微笑みながら人生を創造していこう」そんな思いで人生を歩み始めるあなたを私はサポートしています。


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2025/04/21

父と私のあいだに流れていたもの

――混乱と信頼、そして今ここにある希望――

物心ついた頃、私は父に対して「やさしい」「誠実」「努力家」といった好印象を持っていました。父の実家に行くと、そこには真面目で働き者の血が流れていると感じられ、どこか安心できる感覚がありました。


若き日の父は、九州の田舎から都会に出てきた純朴な青年でした。そんな彼が声をかけた女性――それが私の母でした。偶然にもその女性の親はヤクザ関係の人物だったと聞いています。初々しい父は、そこで厳しい現実を知らされ、鍛えられていったのだと思います。


1960年代後半、両親は神奈川で新生活を始め、新築の家を建て、週末は家族で出かけるという母の夢を叶えました。父がサラリーマンとして安定した生活を送ってくれたからこそ、そんな暮らしが実現できたのでしょう。


母は出会った当時、花嫁修業をし、化粧やおしゃれを楽しんでいた女性だったそうです。そんな若い二人の間に生まれた私は、当初はきっと可愛がられていたに違いありません。でもその記憶は、私の中にははっきりと残っていません。安心感というものが、どこか育たなかったのです。


若さゆえに余裕がなかった両親は、私を一人の子どもとしてではなく、自分たちの一部のように扱っていたのでしょう。母に対しては、確かに恨みを抱いていた時期もありましたが、記憶はまるで霧がかかったように曖昧で、まるで「解離性健忘」のように断片的です。


小学生の頃から、父の印象は少しずつ変わっていきました。優しさの面影は消え、疲れ切ったイライラの人――そんな印象になっていきました。家族からも孤立し、いつしか「傲慢で態度の悪い父」は、皆から嫌われる存在に。私は、そんな父をかばうように、自然と味方のような立ち位置をとり、母を「敵」と見なすような混乱した心の中で育っていったのだと思います。


大人になってからは、感謝の気持ちも薄れ、両親に近づくことが難しくなっていました。私の心の中では、家族というものが「敵」と「味方」に分かれた戦場のようになっていたのです。


父はいつの間にか、放任主義の無力な存在となり、アルコールに溺れて暴れる人になっていました。同居していた妹家族を困らせ、恐れられる存在になっていたのです。誰にも相談できず、孤立していった父。


でも私は、彼を見捨てることができませんでした。


79歳になった父を、私の家に引き取りました。最初は幻覚や妄想、暴言や暴力もあり、心が折れそうになる日もありました。けれど今は、少しずつ落ち着いてきています。ときに紳士的な振る舞いを見せてくれることもあり、その姿には驚かされます。


まだらな変化ではありますが、私は信じています。私が落ち着いていれば、父ももっと落ち着いてくれる。まるで、大牟田の実家にいる親戚たちのように、どこか懐かしく、許しと再生の空気に包まれる日がくることを。


祖母から父へ、父から私へ――

愛の循環をもう一度、この手でつないでいく


父の人生に思いを馳せるとき、私は静かな敬意を感じます。

どんなに不器用でも、どんなに疲れ果てていても、父は家族を支えるために生きてきたのだと、今になってしみじみと思うのです。


その背後には、もうひとつの深い祈りの存在がありました。

それは――私の祖母。

毎朝毎晩、欠かさず仏壇に手を合わせ、家族の幸せと子孫の繁栄を祈り続けていた祖母の姿が、記憶の中で静かに輝いています。


目に見える愛だけが愛ではない。

言葉にならない祈りの力が、私たち家族を、父を、見えないところで守ってくれていたのかもしれません。

祖母の祈りが、父を脱線させずに、どんなに揺らいでも踏みとどまらせてくれていた――そう感じるのです。


私は、祖母やご先祖さまの想いを、これからの時代へつないでいきたいと思いました。

同じようにはできなくても、私は私なりに、家族への愛を祈り、夫婦円満、子どもたちの幸せを願い続けていきたい。


そして今、私は「民泊」というカタチを選びました。

家族の対話が生まれる場をつくること。

笑顔が自然と広がっていく空間を生み出すこと。

それは、かつて私が願ってやまなかった“愛の循環”の再構築です。


親から子へ、子から孫へ。

愛が流れ、祈りが息づき、思いやりが伝わる四世代のつながり。

それを特別なものではなく、「普通のこと」として体験できる社会を、私はこの手で創っていきたいと思います。


目には見えないけれど、たしかに在る――

そんな“愛の循環”が、世界を変えていくと信じて。



2025/04/08

崖から突き落とす

母と娘の受験期

娘からのLINE

2015年11月8日 17:11

ママにもいろんな事情があってのことだったとは思うけど、

私は、自分が感じたような寂しさを、子どもには味わわせたくなかった。

だから、ママは3歳だった私を置き去りにして出て行ったんだよね。

私には理解できない理由だったけど…。

でも、私は今、受験生。

いちいち感情に振り回されて落ち込んでる暇なんてないの。

私は、最終目標をブレずに持っている。

私はストイックだから。

ママみたいに、過去のことをいつまでも思い返してクヨクヨしたり、

未来のことを心配して鬱っぽくなるような生き方はしたくない。

“今・ここ”でできることを、精一杯やって、

それをとことん楽しみたい。それが私の考え方。

ママの好きな心理学もいいけど、

人はみんな違う背景を持って、それぞれの人生を生きてる。

そこに型にはまった考えを持ち込むのって、先入観になりがちで、私はあまり好きじゃないの。

ママの考えは、いつも矛盾してて、葛藤してて、

やりたいことをやらなかったり、やりたくないことをやっていたり…。

すぐに違うことを言い出して混乱させたり、反省して謝ったり。

相手が悪くても自分を責めて後悔したり…。

そのくせ、親やパパのせいにしたり、自己嫌悪に陥ったり…。

正直、私はママに育てられなくてよかったって思ってる。

きっと、そうじゃなかったら、

私は楽観的になれず、何でも悲観的に考える人間になっていたかもしれない。

たぶん、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、私と同じ気持ちなんじゃないかな。

私たちはもっと、楽観的でオープン。

言いたいことは言えるし、自信も夢もある。

人生は一度きり。今日も一度きり。

明日の保証なんて、神様だってしてくれない。

それなのに、ママはいつも不安で、心配ばかりしてる。

本当は世界って、もっと楽しくて、おもしろくて、おかしいんだよ。

私が失敗したって、それが何?

一度失敗したら終わり?悪いこと?

失敗を「失敗」と見るか、「学び」と見るか。

そこがポイントだよね。

ただの見方の違い。それだけの話。

一喜一憂してたら、人生に何が残せるの?

たとえ、小売りのようにまじめで潔癖で、

雪のように白くても、世の中の泥や悪からは逃げられないよ。

ママみたいに真面目に考えすぎると、心が病んでしまう。

どんなに小さくても、可能性を嫌わず、信じてやってみることが大事。

私が今夢中になっているもの。

それは、私が本当に求めている確信があるから。逃げたくない。

私に必要なのは、目標を達成するための知恵と、それにかける時間。

夢中になれることがあるって、すごく幸せなことなんだよ。

私はあきらめない。たとえ叶わなくても、夢を持ち続ける。

そして、死ぬときには笑っていたい。

そしたら、生まれ変わることが楽しみになる。

ある作家が言ってた。

「人間には2種類しかいない。成功も失敗もする人と、何もしない人。」

私もそう思う。

お金が足りなくても、私たちは幸せに生きてるよ。

📩 毒親だった私が娘に送ったLINE

2015年11月8日 23:36

無事に一人で羽田空港に着いたのね?

いつもあなたとはガチンコになってしまうけれど、ママのことをどうか理解してください。

いろいろ忠告もありがとう。

でもね……あなたはまるで、泥棒みたいだ。

もう、泥棒を家には寄せつけられません。

あなたを養子に欲しがったあの時から、

この家が壊れていくような気がして、不安で、怖くなってきました。

もう、この家に憎しみはいりません。

泥棒には、出て行ってもらいます。

今さらこんなことを言うのは悪いけれど、

あなたの言う通り、私はきっと間違っている。

だからこそ――私と絶対に離れて、もうここには来ないでください。

これ以上、悲しみや不愉快を増やしたくないのです。

私の「息のかかる場所」には来ないで。

どちらかが倒れてしまうかもしれないから。

私は「病気」だと思って、どうか諦めてください。

📩 娘からの返信

2015年11月9日 0:42

元々、あなたを頼ろうとは思っていません。

私は一人暮らしをするつもりです。

でも「泥棒」ってどういう意味?

ちゃんと説明して。どうしてママはそんなふうに思ったの?

私のこと、嫌いになったの?

家を壊すなんて気持ちは、これっぽっちもありません。

ママはいつも失礼で、どうしてそんなに疑ってくるの?

ひどくネガティブだよ。

ママは、私のことを知らなすぎる。

人間不信すぎて、子どもの私さえも信じられないなんて。

「病気」だとかなんだか知らないけど――

ママは母親なんでしょ?もっと自信をもって生きてよ。

強く、ポジティブに。

子どもたちの見本になるように生きてほしい。

今まで、私はママの言うことを聞いてきた。

でも……今のママを見て、とてもがっかりした。

名言集とか、ポジティブになれる本とか送ってくれるけど、

結局、自分には何も身についていないんだね。

そんな本やセラピーに頼らなくても、

落ち込むときには落ち込むし、嬉しいときにはちゃんと嬉しい。

私は、自分の感情を大切にして生きているから大丈夫なの。

私は後悔してない。

ママに振り回されても、それも経験だから。

ママだけが特別じゃないよ。

一緒に「ママと闘おう」と思ってた。

だから、ママが変なときには、私はストレートに言う。

ママが一番孤独で、不安定で、悔しくて、苦しんでる。

それ、私には分かる。

だからこそ、ママには気づいてほしい。

ママは「ひとりぼっち」じゃないよ。

ママが厳しいから嫌いなんじゃない。

本当は、ママが大好きなんだよ。

みんなそう。本当は、ママが大好きなの。

今は、信じてもらえなくてもいい。

だけど、命をくれたママを恨む子どもなんて、誰一人いないから。

そのことだけ、わかっていてほしい。

ママが昔、自分の親をバカにしたり、嫌ったりしていたこと、

私はよく分からなかった。

私は、おばあちゃんのこと、ちゃんと大切な存在だと思ってる。

ママは「生みの親」で、かけがえのない存在。

それに加えて、何十年も育ててくれた家族も、私にとっては本当に大切。

両方とも、大切なんだよ。

いいかげん、被害者意識はやめて。

もっと言いたいことがあるなら、私にメールでも電話でもしてよ。

私はちゃんと受け止めるから。本気で話そうよ。

わかり合うには、さらけ出すことが大事なんだよ。

ママに話し相手がいないなら、私にぶつけてよ。

私はママをバカにしたり、嫌ったり、絶対にしない。

そんな人を許せないって思ってる。信じられないかもしれないけど、私は信じてる。

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📩 母からの返信

2015年11月9日 8:39

今まで、私のエゴと寂しさから、たくさんのことをしてしまった。

心から反省しています。

私は、大切なあなたを崖から突き落としてでも教えたい。

それが、私なりの「本当の愛」なんです。

一度も一緒に暮らすことができなかった。

だからこそ、その事実のまま、他の場所で生きてください。

私のことは、あなたの心から消してください。

憎しみに変わらないよう、離れていましょう。

私も、あなたも、良い面を伸ばしていこう。

それが一番、良いことだと思います。

📩 娘からの返信

2015年11月9日 22:12

……馬鹿みたい。

今さら「崖から突き落とす」なんて言うの?

何度も何度も、私を突き落としてきたくせに。自覚ないの?

「それが本当の愛」?

ママって本当に、自分勝手で、保守的で、プライドばかり高くて、

そのくせ、すごく弱虫な人だよね。

何を言っても、全部「押しつけ」にしか聞こえないんだよ。

突然、手のひらを返して、責任も取らずに放棄しようとしてるの?

それって……子どもすぎるよ。

「自分だけが辛い」とか「不幸」とか、「運がない人間」とか。

私だって、いろいろあったよ。

外出禁止、トイレ掃除、両親のケンカ、もっと酷いこともあった。

ママだけじゃない。もっと大変な人だって、たくさんいるよ。

私はちょっと何かしただけで、木の棒で叩かれたり、

テレビ禁止になったり、誕生日を祝ってもらったこともなかった。

その時はすごく辛くて、自分は不幸だって思ってたけど、

今は、その厳しい躾けがあったからこそ、強くなれたって思ってる。

どんなことも、「たいしたことない」って思えるようになった。

でも、ママはその逆。

辛かったことを、ずっと引きずって、マイナスにしてる。

それで本当にいいの?

私はママを恨んだことなんて、一度もない。

ママを殺したいなんて、思ったこともない。

憎しみなんて、1mmも持ったことがないのに、

なんでそんなに疑うの?

なんで今になって、そんなことを言うの?

今までのことは、全部嘘だったの?

……それなら、それでもいい。

でも、それならママが全部背負う覚悟と自信と、根拠を持っていてね。

そして、それがママの「本気の望み」なら――

さよならでも、仕方ない。

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📩 母からの返信

2015年11月10日

あなたの養子縁組を解消したいと口にしたら、

お姉ちゃんから「信じられない」って言われました。

私は「ママは更年期だから、どうかしてるのよ」って、

情けない言い訳をしてしまった。

今日、あなたが小さかった頃にくれた手紙や絵を見つけました。

そこには、どれほどあなたが私に愛を注ぎ、

励ましてくれていたかが残っていました。

私は、あなたにいつも酷いことばかりしてきた。

心から、ごめんなさい。

私は、母親らしくなるよう努力します。

だから、あなたが時々思い出してくれたら、

どうか自由に会いに来てください。

今は親子が逆転してしまっているけれど、

お互いに卑屈にならないようにしましょう。

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📩 2016年1月20日

ホテルに泊まり、一人で受験。

キットカットのチョコが届きました。とっても嬉しかったです。ありがとう。

メッセージも、心が温まりました。受験、最後まで頑張ります。

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📩 2016年3月20日

受験には落ちました。浪人が決まりました。

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📩 2016年3月26日

母の一周忌が、実家で行われました。

長女家族、長男、次女、次男と共に、母の法要に参加しました。

その日は渋滞に巻き込まれてしまったけど、

みんなはやさしくて、私を許してくれていると感じました。

私は――どうか皆に喜ばれるような存在になりますように。

私は――どうか皆に幸せを与える存在になりますように。

私は――みんなの中で、花のような存在でいられますように。

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当日の流れ:

12時 食事

15時 実家に到着

18時 みんなで帰路へ

20時 温泉で夕食

22時 帰宅・就寝

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お母さん――

たくさんの家族に集まってもらえて、すごいね。

あなたが、子どもたちに食事やお小遣いを渡していたこと、

私は知らなかった。ありがとう。

もっと、真剣にあなたと向き合って、思いっきりケンカすればよかった。

もっと、信じたかった。

私は、あなたからもっと学びたい。

これからも、ちゃんと学んでいきます。

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2016年3月

娘に捧げる詩

「ママが好き」

三つ子の愛おしさよ。

いまでも、好きと言ってもらえるままで居たいよ

好きって言われるために、私は自分のカルマを溶かすよ。

でなくては、自分の命の芽を詰んでしまいそうだから

それは避けなければならないから、一刻の別れも仕方ないよ。

「ママが好きなんだもん」という可愛い三つ子の声よ。

子を持つ親の幸せを頂きました。

あなたが大きくなったら

心を開いて何でも話せる関係でありますように

愛するあなたがこの先も私を理解して許してくれますように

あなたは自分自身の弱さに負けないで

光の中を歩んでいけますように

中庸の場所に多く入れますように

あなたは本当に輝いて産まれてきました。

磨けば光る宝石の原石の様に輝いていました。

キラキラしたあなたが本当のあなた

出てきた出てきた底力

あなたの笑顔が私に降り注ぐ

もう大丈夫生きていける

あなたが私の命の証

今、この瞬間が永遠ならば

私は今、あなたとこの時間を過ごせたことが最高の幸せです。

希望です。愛です。平和の安らぎです。

素敵なあなたへ

ありがとう。


2025/04/07

母の最期に会えなかった

没後10年目の覚醒

 死に目に会わせてくれなかった母へ 

お互いに警戒し、怯え、会わないようにしていたね。

気づけばいつの間にか——

私が35歳を過ぎた頃、

お母さんが私を見る目には、怯えが宿っていた。

お母さんは私に、何を映していたのだろう?

私の中にも、お母さんを完全否定している自分がいた。

全身に緊張が走り、仕返しをするような心構えになっていた。

それは、生い立ちの中で

頭ごなしに怒られ続けた記憶、

理不尽さに煮えくり返るような怒りを

ずっと、抱え込んできたからだと思います。

あの頃の幼い私は、

どれほど怒りを押し込めてきたのだろう!

——今の正直な気持ちは、

親を殺したいほど恨んでいるんだ。

それを聞いて、驚く人もいるかもしれない。

でも、これは私の魂の叫びなんです。

一方で、妹は「そんな姉のようにはなりたくない」と、

お母さんを美化した。

でもそれもまた、幻想であり、

どこか現実からかけ離れた世界へと向かってしまった。

——端から端へ。

まるでシーソーのように、心が揺れ動く。

けれど真実を見るためには、

イメージの中で一度「親殺し」をして、

過去の人生を一度終わらせることが、

賢明な道なのかもしれない。

「親を殺したい」なんて思うわけがない。

そんなこと思っちゃいけない。

——そう信じ込んでいた。

でもその「思っちゃいけない」が、

本音の自分を封じ込め、

ずっと自分自身を傷つけ続けていた。

---

毒親、恐るべし。

でも、もうそこから抜け出そう。

毒親との境界線を越えて、

自分の世界を、今こそ生きていこう。

自分自身に、愛と平和をたっぷりと充電したら——

きっといつか、

お母さんのことも深い感謝で抱きしめられる日が来るから。

すべて、大丈夫だよ。


2025/04/01

🌸母への想いが変わった日 🌸

〜感謝と癒しの旅〜

私たちの身体には、いつからか溜まったままのマイナス感情があります。

それは、子どもの頃に感じた「寂しさ」「怖さ」「わかってもらえなかった思い」など。

けれど、そんな感情も、自分の魂の旅においては大切な道標(みちしるべ)なのです。

だから、「感謝」なのです。


🍃呼吸と瞑想の中で

私は、長年「母に対する恨み」を抱えながら生きてきました。


厳しかった言葉、理解されなかった感情、何気ないひと言で心が傷ついたこと…


ある朝、静かに呼吸法と瞑想をしていた時のことでした。


ずっと気になっていたけど、許すことができていなかった心境にぶつかったのです。


長年の固くなったオモイも、心理学や呼吸瞑想法を繰り返して用いる内に柔らかくなっていたのでしょう。


ついに意地を張っていた自分を許すことができました。


それは、覚醒したと言えると思います。


すると「お母さん、ありがとう」という気持ちが湧いてきました。

自然に「あぁ、私は母からたくさんのものを受け取っていたんだ」と気づいたのです。


 🌕感謝の本質に触れるとき 

今まで「ありがとう」と言葉にできなかった時間がありました。

でも、言葉にできなかったとしても、感謝は魂の中にちゃんと存在していたことをやっと外に出せた感覚がしました。

🌸親との関係が癒えると、自分が変わる

不思議なことに、母への感謝を抱いたその日から、世界の見え方が少しずつ変わっていきました。


自分が今まで母を恨んだり嫌ったりしていたことを手放せたのです。


恨みの裏に愛がありました。当たり前だけど。


愛は私の心を綿菓子の様に軽くしました。

今までは地域の目上の人やお習い事の先生に対して次第に不満を抱いて遠のくのが常で後悔をするパターンを繰り返していましたが、そんなことしちゃう自分にもコミカルな笑いと共に許す気持ちが湧いてきて、他人に対してもやさしくなれると思いました。人生は自分の内側のドラマが現象化しているということが腑に落ちました。

親との関係を癒すことは、自分自身の魂の再誕生でもあります。


許すは緩む。体の感覚が体の感覚が緩んで暖かくなりました。

 🌈今、あなたへ伝えたいこと 

親との関係に悩んでいる方、心にまだ言葉にできない感情を抱えている方へ。


あなたは一人じゃないよ。


その感情は、あなたの魂が愛を探してきた証です。


しかし、癒すだけでは本当の意味では変われないんです。


マイナス感情を🌸感謝🌸にして満たすことが必要です。


ゆっくりと、自分のペースでいいんです。


内省する時間をとって取ってください。心を開いて、やわらかくして。


呼吸を深くすることで、心の奥に眠っていた真実が浮かび上がってきます。

どうか、自分の感情を大切に、やさしく抱きしめてあげたら


つぎに、感謝に変容して満たしてくださいね。

もっともっと内省して、感謝の気持ちにたどり着き、


あなたらしさが湧いてくるまで自分に向き合ってみることが必要なんです。


✨タラニからのメッセージ 

私たちの人生は「癒し」と「気づき」の連続です。


過去の痛みが、今のあなたを美しく輝かせるエッセンスになる日が必ず来ます。


何よりもまずあなたがあなた自身を許し愛せるように。


そして、大切な人との絆を育めるように。

一緒に一歩ずつ歩んでいきましょうね。


深野タラニ

営業時間

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