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2025/11/09
歌謡祭『糸』たかえ

自分の声で届く、相手の応援メッセージ

舞台に立つまでの時間、私は「息・響き・言葉」の三つと何度も対話しました。録音を聴くたび揺れる心も、少しずつ「この声で大丈夫」へ。

そして今日、NHKの能登の被災者の応援ソング特集を観て、音楽が“見えない手紙”であることを改めて感じました。上手に見せるためだけじゃなく、自分にも他者にも届くメッセージとして歌う——それが私の願いです。



舞台に立つまでの時間、私はずっと「自分の声」と対話してきました

息の流れ、響きの置き場所、言葉の温度。録音した声を聴くたびに「これが私?」と戸惑いながら、それでも耳を慣らし、心を開いていく。少しずつ、少しずつ——ようやく「この声で大丈夫」と思える瞬間が増えてきました。


今日、たまたまNHKで「能登の被災者の応援ソング」という特集を観ました。

思い出の曲が、人の背中をそっと押し、日常の隙間に光を差し込む。その姿に深くうなずきました。音楽は、ただ上手に歌うためだけのものじゃない。誰かの今日を支える、見えない手紙でもあるのだと。


私が歌いたいのは、そんな歌です。

自分の心にも、目の前の誰かにも、ちゃんと届く歌。

喜びのときには一緒に喜び、苦しいときには同じ呼吸で寄り添える歌。上手く見せるためではなく、生きてきた道のりごと響かせる歌。


ツバサ君の言葉に背中を押され、私もまた一歩、前に進みます。

練習では現実的に「自己採点」と「反省点」を丁寧に拾い、舞台では思い切り楽しむ。その循環を大事にしながら、「私らしい歌」を育てていきます。


最後に、ここまで読んでくださったあなたへ

あなたの「思い出の一曲」は何ですか? その歌は、今のあなたにどんな手紙を書いてくれますか。もしよかったら、教えてください。あなたの物語と一緒に、私も歌いたいです。


——自分と他者にメッセージが届くように。

今日も声を整え、心を整え、また歌います。

どうぞ、これからもよろしくお願いします。



2025/10/31

心や体は人類共通、思考や行動に多様性を持とう!

「国際交流」は、40年かけてやって来た“いま”

学生の頃、私は「国際交流・親善・相互理解」を胸に描いていました。

けれど結婚・子育て・生活の奔流にのまれ、気づけばその夢から遠ざかっていた——。

ところが中年・熟年と呼ばれる年齢になって、あの頃の願いが、まるで季節が巡るように自然と叶いはじめたのです。駅の改札で外国からの友人を迎え、神社にお参りし、わが家の食卓を囲む。言語より笑顔、肩書きより温度。40年前の“未来予告”が、静かに現実になりました。


 叶った理由は「意識を上げる」という小さな舵取り 

特別なコネも資金もありませんでした。変えたのは、**意識の焦点**だけ。

「私には無理」から「いつでも扉は開けられる」へ。

意識が向いた先に、行動の小さな選択が揃い、現実がゆっくり回り出す。

だからこそ、**無意識**には謙虚でありたい。過去の痛みや恐れは、気づかれないまま行動を支配します。無視すればするほど、同じ場所で足踏みしてしまう——私が身をもって学んだことです。

無意識と仲直りする3ステップ

1. **観る**

   朝か夜、3分だけ呼吸を整え、「いま何を怖れている?」と自分に尋ねる。言葉が出なくてもOK、身体の感覚をメモに落とす。

2. **ほどく**

   出てきた感情に“正しさ”を求めない。「そう感じている自分がいる」と受け止める。否定しないことが最大の浄化です。

3. **育てる**

   願いを現在形で置く。「私は交流を楽しんでいる」「私は境界を尊重し合える人とつながっている」。小さな行動(挨拶、お茶、メッセージ)をその日のうちに一つだけ。

交流は技術ではなく、姿勢

国やことばが違っても、必要なのは**相手の尊厳をまっすぐ見る姿勢**。

食卓を分け合う、相手の文化に一歩足を入れる、わからないことは「教えて」と笑って聞く。

その連続が信頼になり、信頼は人生をまたいで巡ります。40年という時間は、夢を冷ますどころか、**夢に厚みを与える熟成期間**でした。

今日からできる“小さな国際交流”

* 「こんにちは」を一歩だけ大きな声で。

* 相手の名前をていねいに呼ぶ。

* その国の言葉で「ありがとう」を覚える。

* 自分の“好き”を一つ差し出す(お茶、料理、音楽)。

* そして、また会いたい人には**こちらから**連絡する。

――意識が現実をつくるのなら、私たちの毎日は“創作の稽古”です。

無意識に耳を澄ませ、意識の舵をそっと切る。

気づけば、40年前の夢は「いまここ」の温度で叶い続けています。

必要なら、あなたの「意識の舵取り」を一緒に整えます。

日本語/English OK。安心して扉をノックしてください。


2025/10/14

不幸の向こう側に

家族のあたたかい居場所

心に矛盾を抱えて混乱していた珠恵(仮名)さんの人生

珠恵さん(50歳)は10歳のお子さんが不登校になり引きこもって誰にも会おうとせずに、

食事も一緒に出来ない状態でほとほと心配で困って私のカウンセリングにいらっしゃいま

した。珠恵さんの生い立ちを聴くと、10才の頃両親には離婚問題が湧き上がり、珠恵さん

は父親か母親かどちらにつくかを訊かれたこともあったそうです。両親はもの心ついたと

きから派手なケンカをしていました。世間体を気にする母親から、珠恵さんにはそのこと

を他人には言ってはいけないと厳しく躾けられていたそうです。子どもの頃から母親がい

つも落ち込んで、家の片付けも料理も出来なくなるか心配する子ども時代だったそうです

。小学中学の頃は父は帰宅困難症だったのではないかと今は思っています。もちろん、珠

恵さんは長女で弟や妹の面倒をよく見ていました。母親からは褒められるどころかいつも

頭を叩かれたり叱られてばかりで、珠恵さんは泣き虫だったといいます。今でも、その母

親が自分を傷付けるから自分の人生はいつもひとりぼっちで対処しなければならず、頑張

っても上手くいかない。自分の人生が苦労ばかりなのは母親が何も対処してくれないせい

だと信念を抱いていました。今までも、母親(70歳)が十分に珠恵さんの話を聴いてくれ

たことは全くないいつも批判ばかりで、褒められたことは一度も無い、10年前から母親に

会うことを止めたと言います。その割には、父親のことはいつも優しくあたたかい目線で

遠くから見守ってくれる気がすると言います。両親の離婚話の時も珠恵さんは父親につい

ていくつもりだったそうです。

珠恵さんは20歳で結婚、3人の子どもをもうけましたが、32歳の時に離婚し、子どもとも

別れて家を出たそうです。その後、自立するために介護士の資格を取り一生懸命に働き

、37歳の時に15歳年上の会社の経営者からプロポーズをされ再婚、恵まれた主婦になり子

どもの一人出来ましたが、その子どもが1才の時に夫がリーマンショックのストレスから

倒れ育児と半身不随の夫の介護が始まりました。夫のことで義母もショックを受けて骨を

折り入院、夫と義母の二人の介護をしなければならなくなりました。しかし、もともと世

話好きの珠恵さんは苦労ではなかったと言います。だだ、介護と育児生活の間、ついつい

自分のための時間を持たなかったことで、仕事も趣味も持たなかったことを無力感とお供

に非常に後悔しているようでした。その間、実家を頼ることもせず、一人で育児も介護も

家の用事も部背負って1日も自分のために休みを取ったことはなかったそうです。そんな

真面目で頑張り屋の珠恵さんにとって、息子の突然のうつ病は晴天の霹靂でした。全く息

子さんの変化に気が付かずにそのような状態に突入したそうです。不登校になった時を同

じくして、高次機能障害の夫が死去、バタバタと息子の不登校を周りに相談しているうち

に、カウンセリングに行きついたと言います。それでも、3年間は真っ暗闇のトンネルの

中にいたような気がしたと言います。息子が中学も行かないと決断したことを受け入れ、

そのような生活をする息子を肯定出来るようになってから徐々に明るさを取り戻し、カウ

ンセリング月に1回受け、後はゆっくり料理をしたり家事をすることだけに専念したそう

です。

そうすると、次第に自分の過去や生い立ちと向き合うようになり、心理学を自分でも勉強

するようになり息子さんも夜間高校に通い始め、あららしい恋人に支えてもらえるように

なり趣味の絵や唄や踊りを始めたそうです。そんな時に私の所を思い切って訪れたのは、

彼女の訴えは「人生が後退して、前進出来ない」というものでした。一見、何もかも順調

で上手くいっているような彼女でしたが、自分のことばかりで、仕事や地域活動をしよう

と思ってもどうしても尻込みして出来ないと言うことでした。

人から非難されるのが怖いということがわかりました。また、誰も自分のことを理解して

くれないのでひとりになって置き去りにされるような気がすると言います。友達を作った

り社会参加して充実感や自己効力感を味わいたいけれど、恥をかきそうで得たいの知れな

い不安い襲われ固まってしまうというのです。

珠恵さんは今まで父親とちゃんと話し合ったことがありませんでした。なぜなら、父親は

直ぐに「そんなこと俺に言うな」と言って酷く怒っていたことをおもいだしhました。80

歳になった今でも、お酒に逃げて、珠恵さんの話は一切聴いてくれないそうです。そんな

時珠恵さんは怒りと言うよりも寂しくなって黙り込んでしまうそうです。「聴いてもらい

たいと思う自分の方が悪いのではないかと気持ちが落ち込んでしまうといいます。」

そのことをノートに自分の不安を書いたり、自分の癒しに取り組みながら、人生を振り返

るとき、自分が前夫からモラハラを受けたり、一切話し合いができなく逃げられてばかり

いて挙げ句の果てには不倫されたのはこの父親の態度も紐付いて居るのではないかと思う

ようになりました。

そのように少しずつ自己理解を深め、不安な自分を否定せずに「そんな自分でいても良い

し」「父母を変えようとしなくなった」時に、安心感をつみかさてねいくことができるよ

うになりました。自分の感情を感じ、自分で癒やせるようになり、自分は愛されて然るべ

き存在だったことを認められるようになり。ありのままの自分を肯定することが出来るよ

うになっていきました。すると、息子も友達と遊びに出かけたり明るさを増し、父親もむ

やみに拒絶をしなくなっていきました。そして、以前よりも家族や自分を自然に愛せてい

るし心から感謝の気持ちになれると言っています。


珠恵さんは、自己の愛情飢餓、息子の不登校、父のコルサコフ症候群から、「ありのままの自分を自分自身で愛する」と言うことを学んだのです。


リトリート民泊ユニファムで目指す安定型愛着の再構築を取り組んでいます。

2025/10/07

TSUBASA 奉納コンサート へ Spring 2026

成せば成る、成さねば成らぬ 何事も


この言葉には、どんな困難に出会っても一歩を踏み出す勇気があれば道は開ける──そんな希望が込められています。

けれども、現実の中では「頑張りたいのに、心がついていかない」と感じることも多いですよね。


そんなとき、私たちを癒してくれたり、勇気づけてくれたり

の背中をそっと押してくれるのが音楽です。


歌声やメロディに身をゆだねていると、固くなっていた心が少しずつほどけて、涙になったり、笑顔になったり──まるで心の呼吸が楽になるような感覚が訪れます。


今回のTSUBASAくんのコンサートは、まさにそんな時間。

「やってみよう」「もう一度信じてみよう」

そう思える小さな勇気を、音楽がそっと届けてくれました。


心が迷ったときこそ、音楽にふれてみてください。

2026年春 もう一度、TSUBASA 奉納コンサートを開きます。




2025/10/07
深野タラニ

営業時間

占いカウンセリング

タラニ(陀羅尼)の家

Open  10:00~13:00

   18:00~20:00

※時間外もご予約していただけます。

Close:不定休

対面:埼玉県さいたま市西区指扇駅から徒歩10分

駐車場3台

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