AC・愛着ケアの癒し

共育ち家族
自己愛がゆがんだ人や、いつも自分を責めてしまう人こそ、
「私は尊い」「私は守られていい存在だ」と学び直す必要がある。
自分の価値と尊厳を大切にし、最後まで自分の味方でいられる力――
それこそが、本当の意味での“自己愛”なのだと思う
「ああ…また全部、自分のところにかぶせて受け止めちゃってるな」と感じました。
まずはね、
私はお父さんを怒りすぎた。
お父さんは寂しいに違いない。
って思えるタラニの優しさそのものを、ぎゅっと抱きしめてあげてほしい。
でも同時に、ここには事実と思い込みが混ざってしまっているところもあるから、少しだけ整理してみようね。
1. あの出来事は「怒ったから」起きたわけじゃない
施設の方は、
「お父さんに楽しんでもらいたい」「一緒に過ごしてもらいたい」
そんな善意でアクティビティに誘ってくれた。
でもお父さんは、
誘われたこと自体が「コントロールされる」と感じる
「やりたい・やりたくない」をうまく言葉で伝えられない
脳の萎縮や、長年の“俺流”パターンで、
NOを表現する手段が「暴言・暴力」になってしまう
という状態だったんだよね。
これは、
お父さんの脳の状態
お父さんの生き方の癖(自己愛の傷つき方)
誘い方や環境との相性
…など、いろんな要因の掛け算で起きていることであって、
「タラニが怒りすぎたから起きた」出来事ではないんです。
タラニが怒ったのは、
大事な人が迷惑をかけてしまった
周りに申し訳ない
また同じパターンだ…
っていう、恐さと悲しさと疲れが限界を超えたサインでもある。
そこまで頑張ってきた証拠でもあるよ。
2. 「自己愛が歪んだ人 × 自分責めタイプ」の危険なダンス
タラニが書いてくれたここ、ものすごく本質的です👇
自己愛が満たされていない方、自己愛が歪んでいる方は、
私の様に自分責めをしてしまうタイプの方と絡み合って
共依存を悪化させてしまう
そうそう、まさにこれが共依存のペアダンスなんだよね。
自己愛が傷ついている人(お父さん側)
「自分が一番でいたい」「弱さを見せたくない」
でも本当は寂しくて不安
だから誘われたり注意されたりすると、
怒る/暴れる/攻撃する/被害者ぶる
などで、自分を守ろうとする
自己否定が強い人(タラニ側)
「私が悪かったんじゃないか」
「もっと優しくできたはず」
「相手の寂しさをわかってあげなきゃ」
と、自分を責めて、相手を理解しようとし続けてしまう。
この組み合わせだと、
相手:暴れる・責める
自分:自分を責めて、さらに相手を思いやる
というしんどいループになりやすい。
3. これからは「理解する優しさ」と「全部自分のせいにするクセ」を分けていい
タラニの素晴らしいところは、
お父さんの寂しさを想像できる
戦時中からの歴史も含めて見てあげられる
自己愛の傷・共依存のメカニズムまで理解している
という、ものすごく深い共感力と洞察力があること。
ただしそれが、
すぐに「全部私が悪かった」に直結してしまうと、とても苦しくなる。
だから、ここからは意識して、
✅ 「お父さんの寂しさを理解する」ことと
✅ 「全部自分のせいだと決めつける」ことを
ちゃんと分ける
練習をしていこう。
例えば、心の中でこう言い換えるのはどうかな?
お父さんは寂しい。
でも、だからといって
私の責任というわけではない。
お父さんの感情と私の感情は別物。
私が怒ったのは、私の心が悲鳴をあげたサイン。
悪いだけじゃなく、私を守るための反応でもあった。
4. 「お父さんの自由を尊重する」と「安全を守る」は両立していい
これからはお父さんの自由を尊重しようと思っていたが…
この気持ちも、とてもよくわかる。
ただ、「自由を尊重する=何でも許す」ではないよね。
危険な行動 → 施設や専門家の領域
感情のケア → タラニの優しさが活きる領域
自分の限界を守る → タラニ自身の責任
それぞれの役割があっていい。
タラニは、
「全部、私がうまくやらなきゃ」じゃなくて、
「私は、私の担当部分だけを、できる範囲でやる」
くらいで、ちょうどいいです。
5. 今日からできる、ちいさな「共依存ブレーキ」
最後に、実際の心の使い方として
こんなミニワークを提案させてね。
出来事があったとき、紙に3つの欄を書いてみる
これは【お父さんの課題】
これは【施設・専門家の課題】
これは【私の課題】
そして、
【私の課題】の中から
「私が現実的にできること」を1つだけ選ぶ
残りは
「今は私の手には負えないこと」として横に置いておく
これを繰り返すことで、
「全部私が悪い」ではなく
「私は私の分だけ、ちゃんとやっている」
という感覚が少しずつ育っていきます。
タラニ、
ここまで丁寧に自分と家族の歴史を見つめている人は、そう多くないです。
今日はまず、
私は怒りすぎたダメな娘じゃない。
それだけ、お父さんを想って疲れていた娘なんだ。
って、自分に言ってあげてほしいな。
自分を責める人こそ、
「自己愛=自分の価値・尊厳を守り抜く力」
を学ぶ必要がある。
これって、めちゃくちゃ大事な視点。
少しだけ整理してみるね。
「自己愛を学ぶ」ということは?
ここでいう自己愛は、わがままでも、ナルシストでもなくて、
自分の存在そのものに「価値がある」と認めること
何があっても、自分の尊厳だけは手放さないと決めること
誰かの期待や怒りよりも、「自分の心と命を守ること」を優先していいと知ること
そんな “静かな自己尊重” だよね。
自分を責める人は、
すぐ「私が悪い」と思ってしまう
相手の気持ちや事情を優先しすぎる
「怒られない私」になることで、なんとか居場所を守ろうとしてきた
だからこそ、その人たちは、
「私は、怒られたり自分を責めてもいい存在じゃない」
「私は、守られて当然の存在だ」
と 学び直す必要がある、ってことなんだと思う。
自己愛がゆがんだ人や、いつも自分を責めてしまう人こそ、
「私は尊い」「私は守られていい存在だ」と学び直す必要がある。
自分の価値と尊厳を大切にし、最後まで自分の味方でいられる力――
それこそが、本当の意味での“自己愛”なのだと思う。😊